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尊厳死とは

  • fcsakai2
  • Apr 11
  • 3 min read

尊厳死とは、日本尊厳死協会によると

『人生の最終段階における医療・ケアを自ら選択する権利が保障され最期まで自分らしく尊厳を保って生きること』

 

自分の最期をどう迎えるのか、どのような医療を望むのか望まないのか、その決定権は自分にあるということ。

もしも回復が見込めないとき、むやみに延命措置を必要としない意志があるのなら、その意思をリビングウイルとして事前に作成し家族や医療関係者に伝えることにより、自分らしい最期を迎えることを目指すものです。

 

父は過度な医療や延命措置は必要ないと常日頃家族に伝えていました。

私も父の意志を尊重するつもりで父の最期を迎えましたが、父が入院生活をした一か月強の日々は苦悩に満ちたものでした。

 

まず、私は父は回復できると信じていたので、医師から提案された治療方法を告げられた時は愕然としました。

それは薬で楽にはなるものの、数日中に最期を迎えることを示唆するものでした。

父はまだ生きたいという意志がありましたので、それはとても納得のいくことではありませんでした。

その提案を受け入れていたら今後ずっと罪悪感や後悔が続いたと思います。

 

しかし医療サイドからすれば、超高齢者の父の治療に時間や労力を割く余裕がないようにみえました。

医師不足や「働き方改革」が始まったとかで、主治医が病室に足を運ぶことはまれですし、看護師はただただ、バイタルの記録はするけれども、それを医師に報告することはない。

部長に話を聞こうとすると、疲労困憊の様子で、「勘弁して」といわれる始末。

私は、どうしたら父が少しでも楽に穏やかに最期を迎えられるのかということを第一優先に考えたいと思っていましたが、

医療は「治す」ことが主目的であり、治らない人をどうするかを考える場ではないようです。

 

私が望んだことは、過度な医療ではもちろんなく、普通に、熱が出たら解熱剤を処方してほしい、下痢が続いていたら下痢止めの薬を処方してほしいといったとてもシンプルなことであり、

しろうとレベルでも出来そうなことさえ、こちらから必死で訴えないと医師に届かないということがとてもしんどかったです。

まさかこのような基本的なケアさえおろそかにされてしまうなんて思ってもみませんでした。

これでは尊厳死どころか、人権侵害にもなりかねないと思います。

 

病院だけでなく、施設に入所すると、そこでの医療についてもルールがあり、施設医の指示が一番優先されるということでした。

例えば熱が8度以上3日続いたら、医師に連絡するというルールがあるのを知り私はびっくりしました。皆さんはどう思われるでしょうか?

 

高齢者が増え、医療費がひっ迫して医療保険が崩壊しそうなうえに、人手不足でケア人員もまともに揃えられないこのご時世です。

どのような最期を迎えたいのか、いくらリビングウイルを考えても現実は厳しいのだということを実感しました。

 

治す医療だけではなく、穏やかに最期を迎えたいという願いはだれしも持っていることではないでしょうか。

尊厳は自分だけでは守れません。治らなくても最期こそ、人にやさしい医療というものがあったらなあと願うばかりです。

 

 

                                   



みんと

 

 

 
 
 

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